朝野裕一
2017年8月4日2 分
以前書いたように、ただ自分ができる範囲の練習をいくら積んでも、
それ以上の技能は習得できない。
今よりちょっとだけ難しい課題を練習していくことで、
上達が得られるという話です。
しかしそれには楽しさよりは辛さ・苦しさが伴う、
それと練習に膨大な時間を要する。
中々運動習慣との関係では厳しい現実ではあります。
もちろん高い技能を習得することと、日常生活の運動習慣をつける
こととは必ずしも一致しません。
ですから、苦しさを伴わないことには、運動習慣はつけられない、
とは言えないと思います。
ただある技能を習得できた達成感みたいなものが喜びとして残ることは
想像がつきます。なので、目標を常に持ちながら、それを達成していく
過程を楽しむという心の持ちようはあった方がいいのかもしれません。
そもそも我々は、生まれて1年くらいは歩けません。
歩き始めた赤ちゃんは何度転んでもチャレンジします。
別に辛い顔をしているわけでもなく 、何度もなんどもチャレンジする、
その姿を思い起こしてみるのもいいかもしれませんね。
先ほどの著書の話に戻りますが、
限界的練習にはその技能を獲得するに至る心的イメージが非常に重要だ
と述べています。
ただ闇雲に行うのではなく、
どんなイメージを描きながら、
技能習得をなすかイメージ力の勝負でもあります。
また、習得に至る過程でのコーチや指導者の適切なアドバイス、
それを元にした個人の練習時間
(1万時間必要とは必ずしもこの著書では言っていません)、
がとても重要な要素であるとしています。
練習がすでに多くの過去の蓄積によってある程度体系化されていること
も重要な要素として挙げられています。運動習慣づけのナビゲートは
やはり必要かもしれません。
早くみなさまのお役に立てるよう、エクササイズ・ナビゲートの仕事を
普及することに励もうと思っています。
今日も読んでいただきありがとうございました。また明日。
付記)花火のシーズンですね。みなさまのお近くでも花火大会が
行われていることでしょう。たまや〜