• 朝野裕一

エビデンスについても短く再考

何事も根拠を求められる。

その根拠は?それは根拠があるのかね?証拠を見せなさい!

などと問い詰められると...う〜ん???と口淀むこともよくあることです。

何かを納得してもらうには、

何らかの行為(医療行為など)のリスクを避けて、より効果的に進めるには、

科学的な根拠が必要なことは当然です。

そのことをまず前提にした上で、

21世紀を迎えた頃から、

エビデンス(Evidence)という言葉が使われることが多くなりました。

医療の世界では特に、EBM(Evidence Based Medicine)が毎日のように

どこかで言われ始めました。

最初にこの言葉(EBM)を聞いた時は素直に、

えっ!じゃぁ今までは根拠がなかったの?と感じた私でしたが、

根拠のあり方をもう一度体系的に見直して、より効果的な治療方法を

検証しようという意図を理解したのはそのあとのことでした。

それだけ無知だったわけで、早速そのコンセプトをもっと深く(核心を)

理解したくて、

「臨床のためのEBM入門 決定版JAMAユーザーズガイド」(医学書院、2003年)

「Evidence-Based MEDICINE EBMの実践と教育」(エルゼビア・ジャパン、2003年)

この二冊の本を買い込んで、そもそもこの概念をまとめ上げた

(EBMの名付け親とも言える)カナダ人の医学博士 Gordon Guyatt 氏の

考えを知るに至ったのです。

無知がゆえの学習効果?!でした。

これらの本には、

根拠をいかに体系的に把握し検証するか、その信用レベルはいかほどか

をランク付けして分かりやすく提示しています。

(詳しくはご自分で検索していただければと、多くの人がネット上で

情報提供しています)

私が最も知りたかったのは、

「〜EBM入門」の冒頭近くにEBMの二大原則として述べられています。

それが、

・臨床判断の指針としてのエビデンスにはヒエラルキーがある。

  先ほど書いた信用度のランク付けみたいなもので、これがEBMの

二大原則の二つ目です。

そして私が、なるほどぉ!と納得したのが、一番目の原則です。

・エビデンスだけでは臨床判断を下すには決して十分ではない

 (必要な条件ではあるが)

・判断を下すには常にリスクや不便さ、代わりとなる治療との費用などを

 天秤にかけなくてはならない

・その際には、患者さんの価値観を考慮に入れなくてはならない

これを見て、当時やたらと(今や定着した感もあります)エビデンスについて、

そのヒエラルキー(格付け的に)と方法論の側面ばかりが議論されていたことに

疑問を感じていた自分の気持ちがすっきりしたことを憶えています。

エビデンスを語る場合に、もう一度この原点を振り返り、

バランスを重要視した議論が進められることを望む、

その気持ちは今でも常に感じるこの頃です。

今日もここまで読んでいただきありがとうございました。

明日は今日の論を広げて、科学一般について考えてみたいと思います。