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朝野裕一

運動の発達について考えてみる2

子ども時代(だけではないかもしれません)身体運動の型を教えること

自体は必ずしもダメなことではないでしょう。しかし、型ばかりで対応

することを強制するのは間違いでしょう。

まさに、守・破・離の世界で、一旦学んだ型を破ることがその先にあっ

ての型であるべきでしょう。

そもそもヒトの身体運動は、周りの環境や課題に適応するような自由度

や冗長性を持っているものです。

周りの状況は過去にあったものとは似ていることはあるかもしれない

けれど、全く同じ状況はあり得ません。変化に対応するための自由度

です。

野球に例えて見ましょう。小学校で内野手の守備を習う。間違いなく

多くは、「身体の正面で球を取れ」と指導されるでしょう。

これは必ずしも間違いではないでしょう。確実に球を取るためには必要

な型ではあります。

(著作者:Vector Open Stock)

しかし、内野手は球を取るのが最終任務ではありません。取った球を、

一塁手や他の野手に投げ相手をアウトにするのが役割です。そのための

捕球と考えると、どうでしょう?

場合によっては、無理に回り込んで身体の正面で捕球したとして、投げ

るまでの時間が勿体無い。まして足が速い選手が走っている。

バックハンドでシングルキャッチ、反転してすぐ送球。

この方が早くて相手をアウトにできる可能性が高い、となればその方法

を選択できる判断と身体の動きが求められます。

(著作者:freedesignfile.com)

ヒトは面白いもので、課題が明確な時は自分の身体の安定性を犠牲に

してでも、その目的を達する動きをします。この場合は捕球して速く

投げることです。

そんな自由度を持った身体運動の学びが必要なのでしょう。

運動自体を学ぶと同時に、運動から何を学ぶかが重要になってきます。

今日は運動発達について、深く学ぶところまでいきませんでした。

次回に続きます。読んでいただきありがとうございます。

ではまた明日、ごきげんよう。

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