• 朝野裕一

格闘技と哲学と

身体と頭脳という話を昨日しましたが、昨年オンエアされたNHK

スペシャル「村田諒太、父子でつかんだ世界王座」を観ていて改めて

考えたことを今日は書いてみようと思います。

昨年5月に納得のいかない判定で世界チャンピオンを取れなかった

村田選手のダイレクトリマッチという形での再戦までを追った

ドキュメントです。

ボクシングはまさに身体を使っての闘いそのもの、もちろんルールは

あるので、スポーツの範疇です。

しかしその闘いに至るまでの選手の様々な心理的プレッシャーを、

いかに乗り越えて、いやプレッシャーを抱えたまま闘いに挑むか?

その過程を追い続けていました。

村田選手が最終的に拠り所としているのが、家族特にお父さんと息子

さんの存在でした。

父から送られる哲学的・心理学的なことに関する書物を常に携え、

読みふけり、闘いに備える姿はとても印象的でした。

多くの迷いと恐怖;主に自分の居場所がなくなってしまうことへの;

とどう折り合いをつけていくか

まさしく身体と頭脳のコンビネーションというか共闘というか、

の必要性を示していました。

もう一つは息子さんの運動会。

一生懸命結果を考えずに走る息子さんを見て、結果=居場所がなく

なる恐怖を考えずに、今向けられた場所で一生懸命やればいい、と

納得する場面でした。

身体運動を万全にするために、心理的な障壁をいかにクリアするか?

そこに哲学的な思考を助けとする。

しかし、頭脳の働きがあまりに過剰になると、神経過敏という言葉で

言われているような今までとは異なる身体運動のぎこちなさとなって

現れてしまう。

両方がシンクロして初めて、パフォーマンスとして納得のいくものに

なる。とても興味深く感じました。

レベルの差こそあれ、同じようなことが我々にも言えるのでは

ないでしょうか。

行動と思考は、両者が車の両輪的に働いて初めて何かを達成できる

んだろうなと思います。

そしてそれは、

身体(運動・活動)と頭脳の働き、に言い換えてもいいのではないかと

昨日の話を少し難しく言い直した今日の雑感でした。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。