• 朝野裕一

やる気とモチベーション

やる気あるのか!とか他人に言われるとしぶしぶ認めざるを得ないか、

そうはいっても内心何言ってんだ!と認めないか、そんな感情も

湧いて来そうです。

一方で、モチベーションと聞くと何か自らの内から湧き出てくるもの

と言う印象を受けます。

やる気とモチベーションは、もしかしたら似て非なるものなのかも

しれません。

今日はそんな文脈で書いてみます。

やる気ももちろん自分に問いただす分には、自主的な思いでしょう。

でも他人から指摘されると途端に強制的な雰囲気が出てきます。

「〜しなさい!」「今やろうと思ってたんだよー!」みたいな。

モチベーションはあくまで自分自身で設定したという感じです。

どちらにしても、

何かをやろう!という気持ちを起こすきっかけとして、動機付け

という言葉があります。

動機付けには、外的なものと内的なものがるということは以前

のブログ)にも書きました。

一時的には外的な動機付けが効果を発揮するけれど、最終的には内的な

動機付けの方が長続きすると言われています。

インセンティブという言葉がありますが、まさに外的な動機付けの典型

でしょう。

何らかの成功報酬を前提に何かに取り組むよう誘導する、やり方です。

しかし人間は一筋縄ではないので、常に成功報酬があれば熱心に

取り組むかといえば、そうはいかないようです。

面倒臭いなぁと重いながらもしぶしぶ報酬を得るということが、

せいぜいかもしれません。要は長続きしづらいんですね。

飽きてしまうと言ってもいいかもしれません。

それに対して、内的な充実感などの動機付けは継続性があり、

何も報酬が与えられなくても自主的に取り組むとされています。

これが、モチベーションという言葉のイメージに合致します。

もう一つ面白いことに、

今盛んに議論されている AI には、モチベーションという概念が

存在しません。一方で人間にはモチベーションがある。

人間的な営みと言えるモチベーション。身体運動=カラダを動かすこと

にも、とても重要な要素です。

平昌オリンピックで成果を挙げた選手が持つ圧倒的な努力。

これは決して成功報酬的・外的あるいは強制的な動機付けでできる

ことでは無いと誰しも理解出るでしょう。何せ人生(の一時期)の

全てを懸ける・賭けるわけですから。

そこには強力なモチベーションが存在していて、もはや(金)メダル

を取ることそれ自体も目標の一部でしか無いような気がします。

もちろんメダルという目に見える形で確認・実感・納得はできる

でしょうが、それが全てでは無い選手個々の目指すところがあると

思います。

達成する明確なイメージがそれに伴う障壁や苦労を上回っているという

感じです。

ただ自己満足に終わらないための形(報酬額だったり名誉だったり、

数字で表せる何かだったり)も必要です。

あくまで順番の問題なのかなと、

報酬のためにやるのではなく、結果としての報酬で自己確認する

とでも言うのでしょうか。

モチベーションもここまでくると強力で、人間が持つ能力の一端、

才能と言ってもいいでしょう。

さてさて、

強力なモチベーション=才能を持つトップアスリートのことを書いて

きましたが、我々凡人には関係ないよ、とも言えません。

このお話はまた明日に続けようと思います。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。