• 朝野裕一

運動をアップデートするには?!

21世紀も20年近く経過した現在、

新しい時代への予兆がそこかしこに芽を吹き出しているようにも

見えます。

イノベーションとそれに伴う日々のアップデートがキー・ワードに

なっています。

果たして、

人のカラダの動き=身体運動には、アップデートという考え方が適用

できるのでしょうか?

全てが非線形的に進歩していくことが明白なこの時代において、

約600万年前から身に付いているこの身体構造と機能、

言い換えると、カラダの仕組みと役割、となるでしょうか、

これはそう簡単にアップデートできるはずがない?と言い切れる

でしょうか?

一考に値する課題ではないか?

そんな気がします。

その根拠は何か?二つあります。

その一つは、

人体自体のトランスフォーム(transform)に関してです。

ポストヒューマン、トランスヒューマニズムなどの言葉。

人間性の、人間の身体性・精神性の、様々なIT技術やAIと呼ばれる

人工知能の進化と、それを取り巻く世界の変遷におけるあり方を考える

必要が生じてきているということでしょう。

う〜ん、

難しい言葉になっちゃいましたが、要は技術の進化に伴って、

ヒトの身体性(・精神性、倫理、哲学など)はどう変革され得るか?

例えば、

身体の障がいを技術の進化で補う、あるいは補って余りある状態へも

進めるのかもしれないということです。

もっと具体的な例を挙げれば、

上下肢の切断を義手や義足で補う際に、動を電子的に制御できるように

なってきています。

特殊な例かもしれませんが、義足の選手の走り幅跳びの記録が、

オリンピアンの記録を抜く時が近づいているのではないでしょうか。

車椅子の自動運転なども試みられています。

一部の視覚障がい者にとっては、網膜に直接投影される信号が届く

眼鏡・レンズを取り付ければ、今まで見えなかったものが見えるように

なる場合もあるかもしれません。

これらはまだ試行段階ではありますが、十年という期間で

かなりのことが達成される可能性も否定できません。

ここにはさらにいくつかの課題があると思われます。

一つには、この技術に対する人間側の適応能力の問題です。

どうしたら、失われた機能を科学技術と融合させて再獲得できるか?

どういうリハビリテーションが必要になってくるか?

二つ目は、環境設定の問題です。

新しく獲得した機能を生かす環境づくりが機能回復とともに

設定できるか?

何れにしても、ヒトの身体性の何らかの変化が確認、あるいは

必要となるかもしれません。

一向に値する課題のもう一つのは、

ヒトの動きを模したロボットの存在です。

ヒトが入れない危険な環境下で(それはヒトに適した環境として設計

されているでしょうから)、その中で自由に動くことができる

人型ロボットの必要性が生じてきます。環境によっては人型でない方が

有利な場合や場面もありますが、

一方で、人型ゆえに有利な場面も当然あるでしょうから。

その時にヒトの身体性をどう捉えるか〜今までも、特に日本では

盛んに試みられてきていますが、なお一層〜がロボット設計・作製の

基盤となります。

現在のAI技術が身体を制御する脳の役割を担えるのか?

とても興味あるところです。

では、

一般の生活の中での人の身体性は、アップデートの必要がないのか?

どうでしょうか?

これもIoTなどの技術革新がどこまで日常に抵抗されるか、汎用さるか

と関係してくるでしょうが、

もし、IoTの環境が日常の普通の場面で機能していくと考えると、

その環境下での身体(運動)は、現在とは異なるものかもしれません。

単純には、今まで以上に動く必要がなくなってくるのではないか?

とある意味心配もされます。

でも、

おそらくヒトが動くことは600万年の歴史を持っているので、

そう簡単にヒトが動くことをやめるとは思えません。

たとえ、日常生活上での必要性が薄れたとしても、それに代わる動き

スポーツやレクリエーションなどなどを今以上に皆さんが求め楽しむ

ということもあると思います。

そして、

そういう世界の訪れはそう遠い未来ではないと考えられます。

それくらい、科学や技術の進歩は非線形的に変化しています。

ですから、

今の我々としてはその近い未来を想定した上で、身体性とは何か?

日常生活における身体の役割(は精神的なものとも深く関連している

と思われます)は何か?

などをより明確に定義・意識していく必要があるのでしょう。

何を言いたいのか?

わかりづらいかもしれませんが、今のままがずーっと続くということは

歴史上もあり得ないことなので、

むしろこれから迎える近い未来の身体性を興味深く・楽しく・面白く

考えていきたいなということです。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日ー。