北海道胆振東部地震で考えること:補遺
ようやく電気は回復の見通しが立った様です。
昨日(9月7日午後10時時点;北海道新聞記事より)で、74%にあたる
戸数で停電復旧されたと報告されています。
9月8日中には全戸の復旧が見込まれています(同上記事より)。
電気に関しては、配給源が一つの火力発電所に固まっていたことを
一般の市民である私たちは知りませんでした。
これはすでに課題視されている様ですが、一極集中の是非については
改めて日本全体で議論すべき問題だと感じました。
今やインターネットがこれだけ普及し、分散型のシステム構築が様々な
分野で奨励されつつある現代では、どう考えても非効率というか今回の
様な問題が、これからも生じ得るという懸念が消えません。
すでに構築されてきたシステムや組織を変えていくにあたっての抵抗
(感)は当然予想できますし、それなりのコストもかかるのかもしれ
ません。
でも、
そう言いつつそのまま続けていくことのリスクははっきりしていると
思います。
日本が、
こんなに自然災害が多くしかもそれに対して脆弱(かもしれない)と
感ずることが最近多くなりました。
あってはいけないのかもしれませんが、何か災害や問題が生じて初めて
真剣に考えるというのが、人間の性(さが)なのかもしれません。
と、ここまで真面目なお話をしましたが、ここからは個人的なことを。
電気に関する節電意識。
停電を経験して、
いかに私たちが電気に頼ってい生きているかを実感した、というのが
率直な感想です。
そして、割と早くから復旧して安心したと同時に、他の停電が続いて
いる人たちの不便さを想像した時に、自然と復旧したからといって、
野坊主に電気を消費していいのか?と感じざるを得ませんでした。
これも体験してみて初めて気がつくという類なのですが、
復旧した途端にいつも通り使いっぱなし感覚でいることは流石にでき
ませんでした。
そして、
いかにまぁいいかと思いながら使ってもいない部屋の電気を点けっ放し
にしたり、観てもいないテレビをつけっ放し、ちょっと暑いなぁと思う
と、26度くらいでもエアコンのスイッチを入れる、といったことを
普通にしていたなぁと思うと、自己満足の節電意識という以上に、
これはちょっと考え直さなあかん!と自然と感じたというのが正直な
ところでした。
どれだけ実際の節電効果になっているのかはわからないのですが、
毎月の電気代請求書の記録などで判断していこうかと思っています。
もう一つ、
ニュースなどを観ていて感じたことは、停電に伴う様々な問題が予想
以上にあるんだなということです。
昨日も書いたような流通、交通機関の問題もそうですが、一時的に避難
を要する方々が集まる場所での、感染リスクの問題やそこでの生活に
おけるプライバシーの問題、運動不足に伴うエコノミー症候群のリスク
などなど、
東日本大震災や、熊本地震の時も報じられてはいましたが、自分の住ん
でいる近くで起きるとその実感はさらに深まるんだな、ということも
分かりました。
どこか他人事で済ましていたのかもしれません。
なるべく想像力を働かしていこうとは思っていましたが、さらに身近に
起きることで想像力を深めて・広げて行く必要性を感じました。
兎にも角にも、
まだ震源地近くでは余震が絶えないようで、安否不明の方もおられる
状態です。
避難している方、足留めを余儀無くされている方もまだ多数おられます
犠牲になった方々への心よりの哀悼を申し上げるとともに、
被災された方々への心よりのお見舞いを申し上げます。
何よりも皆様が健康維持を図ることのできるよう祈っております。
補足)
一番被害の大きい地域、厚真町へのボランティア支援希望者が殺到して
いるとのことですが、町自体がまだ停電、断水状態が続いており、
道路も損傷しているので、現在受け入れ態勢を準備中とのことです。
「ボランティアセンター開設までしばらくお待ちください」
とのことです。
北海道も災害ボランティアセンターのHP上で、受け入れ態勢が整った
ならば募集を始める方針のようです(以上、道新記事より)。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。