• 朝野裕一

運動にまつわる悩みあれこれ

運動、エクササイズ、トレーニング、何と言ってもいいのですが、

これらの言葉に人はどんなことを思うでしょうか?

何をイメージするでしょう。

また、

どんな感情を抱くでしょうか?

昨日も書いたように、

辛い、楽しくない、億劫と思う人もいれば、

辛いけど爽快、動くのが楽しい、中には辛いのが楽しい?!と

感じる人もいるでしょう。

また、

どんな具体的な効用があるか分からない、と感じる人もいれば、

具体的効果を知りつつ、もっともっと!と自分を叱咤激励する人も

いそうです。

いわば強迫観念的に運動をとらえる人も中にはいて、こうなると最早

楽しさは二の次です。

そして、

そういう姿をはたから見ていると、やっぱり楽しくない!と感じて

しまうかもしれません。

一方でこれも昨日書きましたが、

運動しない自分をどこか責める自分

罪悪感とでも言える後ろめたさを感じてしまうことも多いのではない

でしょうか?

これは運動嫌いの人もそうですし、運動を習慣づけたことのある人に

とっても、中々厄介な感情です。

運動を日常的に行なっている人でも、自分に課す負荷を達成できない

ことに対する不満足感、ダメだなぁ感を持ってしまうケースも結構

あるようです。

にも関わらず、

人は生きて生活を営んでいる以上は、動いていることになります。

そうなんです、

動いているんです、毎日。

ただ人類発祥以来、今ほど食料に困ることが少ない(困っている国の

人もまだまだ多いのですが)時代もありませんでした。

その結果、

動くために必要な量よりも多くの栄養分を摂ってしまう機会が多く

なったわけです。

そこでわざわざ運動をしましょう!

というメッセージが必要になってしまったんですね。

体の進化よりも科学技術などの発展の方が加速度的に伸びてしまった

とも言えます。

もう一つの観点が、

子供の頃の運動に対する動機付けにあるのではないかと思っています。

生まれてしばらくは、通常は誰に言われなくても子ども(赤ちゃん)

は動きます。

何度もなんども失敗しながら懲りずに体を動かして周りの環境を把握

していきます。

相当なエネルギーと努力を(努力とも思わず)しています。

それが学童期になり、

体育やスポーツの場面において、得手・不得手がクッキリと浮き上がっ

てきます。

いわゆる運動音痴と運動のできるスター誕生という図式です。

今でもそうなんでしょうかね?

私が子どもの頃は完全にそうでした

かくいう私も運動音痴の部類に入っており、中学生になって陸上部に

入る(必ず運動部に入らなければならない学校でした)までは、

運動に対するアレルギー感・劣等感が自然と培われていました。

陸上部に入りよくわからないまま毎日走っているうちに、体が動き

やすくなったのでしょう。

それまで大の苦手だった跳び箱やマット運動が楽しくなってきたのを

思い出します。

運動発達的にもギリギリのところだったのかもしれません。

また、

たとえ運動が苦手でも、運動に対する興味自体が失われないような工夫

も、教育の中で必要ではないでしょうか。

人が動くことをすごい!なんで?と考えるだけで面白いと思う人が、

必ずしも運動が得意でなくてもいいのではないか?と。

その子が将来、

運動分析の世界や、運動指導の分野で活躍するかもしれません。

昨日の続きになるかもしれませんが、運動に対する色々な興味を許容

するような、“運動”(という言葉)であって欲しいと心から思います。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

まとわりつく運動という言葉、何とかポジティブに捉えたいものですね

また明日。