• 朝野裕一

楽観主義〜運動の観点から

平成最後の数ヶ月、平成とは何だったのか?など議論がされている

年末年始ですが・・・

これから世界は、日本はどうなっていくのか?先行きへの不安は常に

今でなくともつきものです。

ただ現在は多くのことが予想をはるかに超える速さで変化していく時代

となったので、不安(なこと)に視点を移せば今まで以上に膨れ上がり

そうです。

結論はもう出ていて、誰にも予想はできないということ。

少なくとも正確な予想は不可能だということでしょう。

となれば、今の時代でいいところをできるだけ考え出して対処していく

しかないのではないかと思います。

一言で言えば楽観主義と言えるのかもしれません。

悲観にあるいは悲嘆に暮れていても、時間は無情に流れていくだけです

ので。

そこは生物的に・動物的に?身を委ねていく心積りもある意味必要な

気がします。

考えないということではなくて、脳を運動に使いましょう!と極論して

みようかなと思っています。

立ち止まって考えるときは考える、でもこれはあくまでも意識的な行為

としたいものです。

気がつくと先行きの不安に悩んでしまうということは、当然誰しもが

経験するところです。

しかし、

それにただ身を委ねてしまうのはどうだろう?ということです。

冬が厳しい北国では特に、歩くことがままならない人などは外に出る

機会を失いがちです。

そこはそれで、

普段じっくり行えない思索に耽るということもあるでしょう。

それはそれで意識的に行う分には良いと思います。

でも、

運動をする機会を失うと、人間とかく思考がマイナスになりがちなのも

ありがちなこと。

何でも良いので外に出る機会や家でストレッチでもする時間を持つ、

それも意識的に、もしそれもできなさそうならば、そうせざるを得ない

状況をどう周りの人も含め作れるか

が大事な気がします。

例えば食材なども、年末年始買いだめをすることが多いかもしれません

それをわざと、

買いだめをせずに毎日出かけなければならないようにする、今までは

面倒くさいなぁと思ったことから始めてみるべきでしょう。

そうでないと、人は楽をする方向に流れてしまい、そのつけは何だか

何もしたくないなぁ、という気持ちやこんなことで良かったのだろうか

というマイナス思考に陥ってしまいます。

いわば誤解を恐れずに言えば無駄なことに時間を費やしてしまう、

結果的に最初に楽した分、後で嫌な思いをするという形で皮肉にもバラ

ンスが取れてしまうことになってしまいます。

楽あれば苦ありなどと言われてきた状態です。

できれば苦あれば楽ありと順番を変えたいものです。

苦というとまた運動すること・動くことに対するハードルを上げてしま

う形になるかもしれませんが・・・

もうこの際苦と感じるならばそれも良しと認めてしまう。

そこからは思考停止(意識的な)をすることです。

理由など考えなくとも動きましょう!ということです。

これが私なりの究極の楽観主義です

これは無理に楽しい!と自分をごまかすくらいなら、という意味です。

楽しめればそれに勝ることはありません。

どんな人でも動いた後は(個々人のその時の状態による限度を超えな

ければ、という条件付きですが)、それなりの爽快感や心地よい疲労感

が得られるものです。

それで何にも考えないうちに眠ることができれば、それに越したことは

ありませんよね。

どうでしょうか?

私なりの楽観主義のススメでした。

様々な技術の進歩や考え方の多様性は、考え方次第では大きな幸福を

人類にもたらします。それを信じてその日を生きる、という感じです。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。