Why?苦を好む〜グレートレースから
昨日楽観主義の話をしました。
苦あれば楽ありとも。
それにしても人は時に(人によりますが)なぜわざわざ苦を好むので
しょう?
GREAT RACEという番組を時々観るのですが、観ていていつもそう感じ
ずにはいられません。
なぜ身体を酷使して傷めながら、痛い思いや苦しい思いをしながら、
険しい自然の中を走り・歩き・登り・降りするのだろう?と。
達成感と一言で説明できないほどレースは過酷です。
しかも何千人という人が世界から参加する。
自然を征服する感覚?とも違う、自分との闘い、本能なのでしょうか?
そもそもこういう大会を主催する側の気持ちって何なのでしょう?
参加する・したい人がいるから始まったのか?こういう大会を開催した
い人に賛同して人が集まるのか?
賞金が高額なのでしょうか?
そうではないようです。賞金などは無く、むしろ参加費がとても高額
だとか?
ますます分かりませんよね、参加する人の気持ち・モチベーションが
どこにあるか?
人それぞれなのでしょうが、
きっと、自然への征服感、それを成し遂げようとする自分への達成感、
野生に戻る感覚を得たい、応援する人に応える?などの全てが重なって
モチベーションが形作られているのかも知れません。
先ほど賞金はないと書きましたが、あくまで大会からの賞金はないと
いうことで、プロのアドベンチャーレーサーはそれなりにスポンサーを
持っていて、そこからの契約金があるのかも知れません。
でもそれはあくまで一部の選手に限られているのでしょう。
そこに山があるから登ると同じように、そこにレースがあるから出場
するということなのかも知れません
苦しさとそれを克服した後の爽快感は、レースを完走した後の選手の顔
を見れば想像できます。
ただはっきり言えることは、そんな無謀とも思えるチャレンジを番組に
し、それをまた思わず見入ってしまう自分がいるということです。
よくやるよなぁと言いながら・思いながら、ついつい何か魅せられる
部分とは何なのでしょう?
そうなんです、ついつい観てしまうんですよね。
実際大会を観戦する人も結構たくさんいるわけで、自分なら絶対しない
ことを代わりに誰かがしてくれているという追体験感なのでしょうか?
自分の苦を代替してくれることを感じている、あるいは投影して観て
いるということなのかも知れません
とにかく、
身体運動の極地に苦を求める人がいることは確かで、それを応援する人
、支援する人、催事を行う人がいることも確かです。
これからも、
この様な人間のある特性を表す・代表するものとして、レースを観て
いくことになるでしょう。
箱根駅伝もありますね。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。