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朝野裕一

身体性について〜その一

「身体性」という言葉は様々な場面や文脈の中で使われる言葉です。

私のような理学療法士からすると、“そうそう身体なんだよ!”とか、

“やっぱりフィジカルだよね結局”などと、とても表面的な解釈に飛び

つきたくなるのですが、

ここで自分ができる範囲でこの「身体性」という言葉をもう一度考えて

みたいと思います。

とはいえ、

この時点ではそこまでで、あまり帰着点を決めていないので果たして

どんな話になるのか?

身体性とは、身体そのものを意識する場面なり身体を通じて感じる感性

みたいなものを含んだ言葉なのかなと思っています。

人が最も感じる身体性は生理的欲求に基づくものでしょう。

人の欲求といえば、マズローという人が5段階説で説明しているので、

まずはそれに則って身体性を考えてみようと思います。

だいたいこの説は下のようなピラミッドで説明されています。

ピラミッドの上に行くほど、より人間性というか人間特有の欲求を示し

ています。

下から順に身体性という言葉と掛け合わせて考えてみましょう。

一番基盤になっている生理的欲求とは、生殖や食欲など生き物が生きる

ための根源的欲求を指しています。

これはもう考えるまでもなく、身体性そのものと言っていいでしょう。

身体を通じて初めて成す・為すことのできる行動です。

身体を通じなければできないこと。

でもどうでしょう?

生殖などは人工授精という技術(テクノロジー)が発達して、必ずしも

身体の交流をともなわなくても可能ではあります。

しかし依然として、

受胎後出生まで身体をともなった、身体を通じなければ成り立たない

ことではあります。

これからどこまで科学技術が進歩・発展するかわからないのですが、

今の所は間違いなく身体性をともなうことです。

食事や排泄にしても、まさしく身体を通じた行為です。

あまりにも当たり前の行為なので、普段意識することは少ないかもしれ

ませんが、一旦身体に不自由さを感じたりその行為が自立できなくなる

と、一転して必須で緊急の問題になってきます。

もちろん、

人はただ食べれればいいというわけではなく、そこに他人との交流や

食を味わう、食文化を培うなどの付加的な価値を育んできました。

排泄に関してもより安心した・感染などを防ぐ安全なシステムを考えて

きました。

これは次のレベルの安全欲求や社会的欲求、自己実現欲求ともかぶる

ところかもしれません。

いずれにしても、

これらを含めて身体性を語ることができるんだなと思います。

次に、安全欲求です。

これは生命の危険=身体の危険に関係するものと考えられます。

もちろん今の世の中、別の危険も存在しますがそれは社会的欲求以降の

話につながります。

身体の危険を未然に防いだり、とっさに危険をかわしたりするのも身体

があっての話です。

生活を維持するという目線で考えても、衣食住を安全に確保するという

ことは、もちろん身体があっての話です。

なんだかあまりにも当たり前の話に聞こえますが、普段あまりにも意識

することがない身体をもう一度考え直すためには当たり前のことを

なぞって行くのも必要だと思っているので続けます。

衣食住といえば、それにともなう日常生活動作というものがあります。

まさしく、

身体をどう周りに適応させて日常生活を送るかに関わってきます。

周囲の環境との接点が身体ということです。それによって生活という

行為が成り立っているという、これまた当たり前の話です。

ここで周囲の環境との関係という意味では、アフォーダンスという考え

方が成り立ちます。

また、

身体というフィルターを通じて人は脳を含めた発達をして行く、と考え

れば、運動発達という概念に行き着きます。

身体と知能の発達は切っても切れない関係になっています。

さらに、

人は社会という人の集まりの中で生活をしているので、そこでの自分の

立場を見つけるというか、他との交流を果たすという意味での欲求が

あり、それが社会的欲求です。

他人との交流をコミュニケーションと考えれば、それは実際に目を合わ

せたり、ジェスチャーなどによって身体を使って、身体をツールとして

利用して行うことが可能です。

もちろん言語もそうです。

今の世の中、言語や画像を通じてインターネット上で直接(リアルに)

対面しなくても交流は可能になってきました。この辺が身体性の喪失に

なるか?どうなのか?と論じられる部分でもあります。

もちろん一方で今は、

テクノロジーの進歩によって、画面を通じて(昔あったらいいなぁと

言われていたテレビ電話的)交流も可能です。

少なくとも今までは、身体を通じて他人との交流・コミュニケーション

を行なってきたわけです。

そうすることで、社会の中での自分の立場を築くことができることに

なります。

果たして、

SNSなどでの交流は身体をともなうのか?といういう疑問は生じて

きますが、交流相手をヴァーチャルに設定したり、ロボットとの交流

などで、生の人との交流を代替的に体験することは可能でしょう。

体験はどんなものであれ、即身体性につながります。

どういう形にせよ、人は何かとのつながりを求める生き物なので、

この社会的欲求を満たすための身体は依然として必要だと思います。

ずーっと先の未来はわかりませんが、少なくとも今のところはそう言え

ると思っています。

さて、ここから先は明日に続けようと思います。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。

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