• 朝野裕一

身体性について〜その二

身体性について考察しています。

マズローの欲求5段階説に従って、その各レベルと身体性の関わりを

追ってきました。

今日は、

上位2段階の承認欲求と呼ばれているものと、自己実現欲求です。

これは昨日書いた社会的欲求のさらに上位のものなので、身体性に関し

ても社会的欲求の延長上にあると考えられます。

その上で、

承認欲求さらには自己実現と身体性との関連となると、どう考えれば

いいでしょう?

昨今のSNSでのコミュニケーションなどを見てみれば、承認欲求は必ず

しも身体を伴う必要はないように思えます。

なぜならば、

承認の確認が、いいね!などのボタン一つのクリックで達成できるから

です。

そこに特別な身体性は必要ではありません。ボタンを押す指の動きだけ

です。

しかし、

必ずしもネット上のコミュニケーションが、それだけで終わるわけでも

ありません。

しばしば、

リアルのイベント参加や、ネット上で世界中の人とのコラボによるもの

作りやアプリ作り(クラウドソーシングなど)といった生産的な行為や

実際に対面する場面のきっかけになることがあるからです。

そこからは社会的欲求同様、

互いの身体をともなったコミュニケーションなどが行われるでしょう。

また、

実際一度も会ったことがない人同士の仕事をしている方も知っています

が、結果として、互いにその場所では身体を駆使した何らかの生産

(あるいはアウトプット)をしているという点で、身体性は保たれて

いると思います。

そしてさならなる欲求である自己実現に至っては、この世の環境と身体

とのつながりがあって初めて達成されることがほとんどでしょう。

もしかしたら、

上位の欲求に行くに従って、身体性をどこまで意識できるかどうか?

が人によって異なるアプローチになって行くのかもしれません。

そこで、

最初の結論に至るわけです。

どう考えても、この世に生を受けた時点で人は身体性から全く離れる

ことは、少なくとも今は不可能だということです。

さらに言えば、

周りの環境の中で身体という介在を利用して知能をも発達させている

人類という存在ですから、

身体性とは、周囲の情報をインプットし、それをフィルターにかけた

上で、外界へ何らかの力を及ぼす=アウトプットすることを指すと

考えることができるでしょう。

いずれ、何百年も先かもしれませんし数十年後かもしれませんが、

知能だけが残り今言うところの身体を伴わない行為が可能になったとし

ても、インプット⇔アウトプットの関係性は変わらないと思うので、

今のような身体を伴わなくても、身体性という考え方・概念は残るので

はなかと思っています。

今とは全く異なる形状であっても、インプットとアウトプットの部分が

いわば身体と考えることもできるわけです。

身体性とは、情報の取得と外界への働きかけを橋渡しするツールである

とも解釈できるでしょう。

それが、

今までのところ考察した結論です。

なんだか、まわりくどいお話になってしまいましたが、身体性という

言葉が様々なシチュエーションや文脈で使われる言葉であり、

身体に関わる職業である理学療法士として、一度は考えておいても

いい話題ではないかと思い書き連ねています。

さて、

明日はもっと具体的な場面で感じる身体性のお話をしていこうと思って

います。

今日はこのくらいにしますね。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。