• 朝野裕一

運動を学ぶ?

身体を動かすことは、練習・トレーニングをすることでその能力を維持

改善することが期待できます。

しかしその過程で、

どういう意味を持つトレーニングなのか?どこを鍛えているのか?

なんのために鍛えているのか?

自分の目的に果たして沿ったものなのか?きちんとできているのか?

などの疑問を解消しながらその効果を図っていかなければやる意味が

ないと言えるでしょう。

考えてみると、

これは全ての学習に当てはまるのではないでしょうか。

例えば、

英語を学習することを想像してみましょう。

少なくても中学生になれば、英語を学びます。そこから英語は常に好む

と好まざるとにかかわらず私たちの周りにあり、多くの日本人が苦手

意識を持つものでもあります。

どうして、中学生から始めているのにもかかわらずそんなことが起こっ

てしまうのでしょう。

いまや、小学生から英語の授業を始めようという時代になっています。

どこかに学習の方法や目的、目標などがはっきりしないまま、個人個人

のレベルが考慮されないままに、一律にカリキュラムが進んでしまった

結果、言葉は悪いですが脱落してしまう人が増えていくそんな実態が目

に浮かびます。

転じて、

運動に目をやると、同じようなことが起きているのではないか?

と感じます。

運動は英語よりも早く、子どもの成長と発達の段階で遊びなどを通じて

誰でも経験するものです。

小学生になると体育という教科があって、同じカリキュラムの中で運動

を行う機会が訪れます。

ここで多くの子が苦手意識を持ってしまう可能性があります。

それがその後の運動経験に及ぼす影響は意外と大きいような気がします

なぜなら、

運動の必要性を感じながら苦手意識や辛いもの(楽しくないもの)と

感じて、なかなか運動を積極的に生活に取り入れようとすることが

できない人が多い印象を持つからです。

英語に接することが学校の授業の中では多いものの、実際の生活で英語

を使う機会はほとんどない、というギャップは、早くから接してきた

意味がないと言えるほどです。

運動も同様に、運動部に入ればその競技だけに特化した形での経験は

高まりますが、総合的にヒトの運動を考えることは、トレーニング

(理論)などに強い興味を持たない限りあまりないと思います。

しかも、生活上結果として身体は動かしているものの、その仕組みや

自分の特性などを知る機会はほとんどなく、意識して運動に取り組む

ことはほとんどないのではないでしょうか。

必要以上に運動に対するハードルが上がってしまっている、これは

英語と同じ根本的な課題であると考えられます。

例として英語の学習を挙げましたが、全ての学習について当てはまる

ことのような気がします。

学習をするには、構造的に確認された明確な方法があり、個人のレベル

に合った方法が選ばれるべきです。

また、

目的・目標が必要で、強い動機(モチベーション)も必要です。

自分の実力を測る・知ることも重要で、学び続ける習慣づけと何よりも

学ぶ(過程でも生じる)楽しみがなければなりません。

多くの学習法が存在し、何が自分に適当か見極めづらいというのも、

多くの(英語学習を代表として)学習において直面する課題でしょう。

ですから、

運動も学ぶものであるというのが私の考えです。

その意味は、

動き方を学ぶというだけではなく、いやむしろそれよりも運動の仕組み

を学ぶということの方がより必要だ、と考えていることです。

そんな思いから、できるだけ多くの人が身体の動きとその仕組みに興味

を持ち、日常生活に応用できることを願って、「運動科楽塾」という

講座を開こうと考えて、いま準備をしているところです。

この夏までには、もっと詳しい情報をお届けできると思いますので、

楽しみにお待ちください。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。