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  • 執筆者の写真朝野裕一

反面教師的〜自分の身体運動感覚を知ろう!

ご無沙汰していました。

この2ヶ月くらい、ブログアップが途絶えていました。

その間、

腰椎椎間板ヘルニアからくる左脚の神経症状に悩まされていました。

今は左足のシビレが残っていて、なんでもないときに比べると運動感覚

がまだどこかしっくりこない感じです。

身体の運動をナビゲートする自身がそんな状態ではナビゲートの説得力

がないなぁなどとも考えつつ、

自分の身体の状態から知ることのできる情報は結構有用だなとも思って

います。

どういうことか簡単にいうと、

シビレがあって足裏の感覚が鈍くなっていることによる運動調整の乱れ

みたいなのが、実感としてわかるということです。

なぜそれが有用か?

感覚情報のフィードバックがいかに運動を規定しているかが体験として

わかるということです。

その欠落した情報をどうやったら補えるのか?どこまで補えるのか?

補えないのか?などを実体験として検証することも、今後のナビゲー

ション作業に意味のあることだと感じています。

まぁそうは言っても、

反面教師としての役割にすぎないと言えばそれまでですが・・・

でも、実感としてわかるということは、エビデンスのある情報だけでは

捉えきれないものを補足するという意味で重要だと思います。

エビデンスに伴う知見を伝えることは、いうまでもなく重要ですが、

一方で現象をそのまま捉えてどう感じるかという主観的な部分も、特に

ヒトの身体運動に関しては大事になってきます。

なぜならば、

自分の身体は、あくまでその人が感じる内側の情報を処理することで、

修正ができるからです。

外側に表れる測定値などは、運動としてどういう現象が生じているかを

測る指標にはなります。しかし、それがなぜ起きるか?どうしたら修正

・変更などが効くのか?に関しては、仮説的な検証が必要になってきま

す。

その作業は絶対に必要です。

自分の身体を自分でコントロールする、自分自身でケアするということ

を目標にあげているナビゲーターとしては、アドバイスとしての根拠を

挙げるために必要な作業になるわけです。

それと同時に、

自分自身の身体感覚はその人自身が感じるもので、どこまでいっても

主観的なものです。

その主観に(途中までは)寄り添って道案内をするものとしては、自分

自身の身体運動感覚という実感を共有しておく必要もあります。

反面教師的(むしろその方が説得力を持つ場合もあると思います)であ

ろうと、実感を共有することが、意味があるのではないかと思います。

身体を動かす時に、こういう感じとか、こうしたらどんな感じ?などの

主観的な言葉でのコミュニケーションや、実際の動きで示すイメージ

共有が、結構わかりやすいメッセージになることは、今までの職業体験

から感じていることです。

リハビリテーションの場面で、変形性股関節症や脳梗塞など様々な方々

の動きの変容を見てきました。

ある動き(歩くとか起き上がるなど)がどうして起こるのか?を知りた

いと思った時に、

私ができることはその動きを真似てみるというものでした。

まずは、どうしてその動きしかできないのだろう?という素朴な疑問

から始まり、観察を通した動きの模倣をしてみます。

それが一番シンプルでその人に起こっている内的体験としての身体運動

(難しい言葉になっちゃいますが)を理解する方法ではないか、と思う

からです。

自分の身体をできるだけ自分でコントロールする/できることが、生活

活動を維持し健康を守る一番の近道ではないかと考えています。

そのためには、私も自分の運動感覚を常に体感する作業が必要で、意味

のある作業だと思っています。

ここまでこむずかしい話しをしてきましたが、

要は運動を指導する身が神経痛で困って思うように動けず、それじゃあ

世話ないなぁというのが新年最初の結論でした。

本年もよろしくお願い申し上げます。

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