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  • 執筆者の写真朝野裕一

動きの型を学ぶ

身体の動きのパターン化の主にデメリットについて話してきましたが、

今日はそれとは一見矛盾するようなお話です。

人間は生まれてから、自分の身体の外にある環境下で多くの情報を

インプットしながら、自分の身体をアクチュエイターとして外界に

アウトプットし、その時得られる情報を再びインプットしながら、

多くの動きを学んでいきます。

これが運動発達と運動学習というものです。

これは、

身体を媒介にした外界との情報のやり取りの繰り返しから成り立って

います。

その過程で、

多くの身体の動きをいわば一つの型・パターンとして憶えていきます。

例えば歩行を例にとってみましょう

ほとんどの人は同じ歩き方を獲得します。細い点ではそれぞれ特徴が

あり、異なる部分もあるのですが、

ほぼ皆、

踵から足を地面に着き、左右の脚で支える時間を経て、つま先が地面に

突っかからないように脚を振り出し、地面を踏み切って前に進みます。

これには、

遺伝上の情報ももちろん含まれるでしょうが、一つの決まったパターン

で動く・歩くわけです。

その平均したパターンが正常歩行と呼ばれる一つの型として認識されて

います。

体型や年齢、周りの状況、気分など様々な要因で細かい部分は異なって

くるのですが、そうはいってもある一つのパターンから大きく外れる

ことはありません。

なので正常歩行パターンと呼ばれているわけです。

明らかに異なるパターンが認められればそれは、異常歩行と認識され、

原因が突き止められていきます。

ヒトが生まれてから、半ば無意識のうちにでも色々な動きを試して、

獲得されていく動きの型。これがあって、初めてそのパターンを外れた

動きの習得も可能になってきます。

よく言われる、

守・破・離” の守の部分が型を覚えることに当てはまります。

そこから、

破・離へと続く部分が運動の自由度の獲得を意味すると解釈できるので

はないかと思います。

運動の自由度を獲得するためにも一旦大枠の動きのパターン・型を学習

することが必要だろうと考えます。

ですから、

一見矛盾するような動きのパターン化と自由度は決して相反するもので

はなく、どちらも運動学習にとっては必要なことだと思います。

問題とするならば、

周りの環境や自分の体の状況(現状)に関係なく一つのパターン・型で

しか動けなくなるということでしょう。

それらの変化に適応するための自由度を失うと、ヒトの動きは定型化し

さらに動きの範囲を狭めていく可能性があるというところにこそ問題の

核心があるということです。

リハビリテーションの場面でも、起き上がりや立ち上がり動作に支障が

ある場合、まずその人に適したしかも安全なパターンでの方法を学んで

もらう過程があります。

しかし、

常に考えておかなければならないのは、こちらが考えるいわゆる正常な

パターンの押し付けやその繰り返しが必ずしもその人にとって有効か、

意味があるかということです。

そのことを考えながら、完全な自由度を獲得するのは困難ながらも、

ある程度の動きのバリエーションを引き出せるようなアプローチをする

努力が必要でしょう。

これはいうほど簡単なことではありませんが、念頭に置いておくべき

考え方だと思っています。

話が少し逸れましたが、

一つの目的(歩いて移動するとか起き上がる、立ち上がるなど)に

応じた動きのパターンを試行錯誤の中から習得することの重要性を

お話ししました。

赤ちゃんが何度転んでも立ち上がったり歩いたりを繰り返しチャレンジ

する姿、そこに運動発達や運動学習の本質が見て取れると思います。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。

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