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朝野裕一

サッカーにまつわる悩み?!

FIFA主催のW杯サッカー2018ロシア大会はいよいよ決勝トーナメント

に入ります。

先日の日本の決勝トーナメントに出場するための西野朗監督の決断に

関しては様々な議論がなされています。サッカーを考える上でとても

有意義なことだと思っています。

私自身、賛否を決め兼ねる微妙な心情を持っています。

その点を少し噛み砕いて吐露してみようかと思います。

<ルール上の英断>

決勝トーナメントに出場する規定が細かく決められており、今回の西野

監督の判断は、それに則ったものでこの点では誰も非難はできないこと

だと思います。

さらには、「もしセネガルが点を入れていたらどうなるんだ!」という

非難を承知の上で、あの数分間?で選手へはっきりとしたメッセージを

伝えるには、何らかの決断と伝達が必要で、今回は他力本願にかけた

という事実が残るだけです。

それに対しては、かえってよく決断したよなぁ〜という感想も抱かざる

を得ません。

<スポーツマンシップからみたらどうなんだろう?>

当然そのことは決断をした監督ならびにそれを受け入れた選手たち、

スタッフ共々が感じるところでしょう。決して美しい形ではないという

ことは重々承知の上での決断です。

決してスポーツマンシップに則った行動とは言えないでしょう。

その点で非難の声が出ることも想定内で、とにかく次のステージへ行く

ことを第一の目標としていたわけです。

私自身、好きか嫌いか?と問われればあまり好きではないし、

レギュレーションのことは考えずに、あそこまで露骨ではない方法が

あったのでは?と思ってもいます。

<アトランタの軌跡と失望から>

しかし、西野監督には20年以上前の苦い経験が脳裏をよぎっていた

ことは間違い無いでしょう。

マイアミの奇跡と言われたブラジル戦での奇跡的勝利を含めて、

一次リーグで2勝を挙げたにも関わらず、得失点差で予選敗退となった

あの体験です。

ですから、今回の決断は瞬間的に直観として決めたかもしれませんが、

その時にはアトランタオリンピックのサッカー予選リーグのことが脳裏

をかすめたとしても不思議ではありません。

実際のところはわかりませんが・・

<サッカーという競技>

サッカーはその長い歴史の中で、いくつかのルール改定などが繰り返さ

れてきました。

中でも昔よくあった、時間稼ぎのプレーへの対策です。

リスクを冒さずボールを保持して時間経過を待つ作戦(と言えるか

は?ですが)の一つに、キーパーにボールを返してはキーパーがボール

を持ってまた味方にボールを渡すというやつです。

いつまでも味方でボールを回して保持できるというある意味姑息な方法

でした。

これをやると今回同様、必ず観衆からはブーイングが沸き、試合の面白

さを台無しにしてしまう、

というところから、キーパーへのバックパスは原則禁じ、パスをしても

キーパーは手を使えないようにする、というルール改定を行いました。

これは結構理に適ったルールで、それ以降無駄にキーパーへバックパス

することが激減しました。

手が使えない分、キーパーがバックパスで受けたボールを万が一コント

ロールし損ねると、下手をすると相手にボールを奪われて失点するリス

クが増えてしまうからです。

そういう意味で試合をあくまでもスリリングに楽しむことができる画期

的なルール変更でした。

オフサイドルールもそうですね。

ずーっとキーパーの近くで待ち伏せして、ルーズボールをその選手に

渡せば、即キーパーと一対一になり、ゴールの確率が格段に増えます。

そういう姑息なことはやめましょう、ということでオフサイドルールが

あるわけです。

つまり、サッカーの元々の競技からすると、やろうと思えばできてしま

う姑息的方法がいくつかあったんですね、過去には。

今回のやり方が姑息かどうかは、見方によりますが、現象としては味方

同士で確実にパスを回すだけの超保守的なやり方に見えてしまうのは

仕方がないでしょう。

目的が危険を冒さず、ボールを保持して時間が経つのを待つという意味

では過去にルール改定された行為と同じですから。

美しくない、という美学的な観点と、あくまで勝負は勝負(結果が

全て)という考え方は相入れないのは当然のことです。

ただ、中途半端に対応してボールを奪われ2点目を取られていたとした

ら、きっとそれに対する非難がまた沸き起こったことでしょう。

もっとしたたかに戦うべき!だから日本はまだまだなんだ、といった

ような意見が出てきたでしょう。

とにかく、サッカーという競技しかも国を代表して戦う4年に1度の

W杯などの大会では、とても悩ましい状況が生まれてしまう。これは

もしかしたらサッカーだけの話ではないかもしれません。

<結論>

私自身自分の好みの感覚と、勝負というある意味したたかさが必要な

状況との狭間で、頭を抱えてしまうのが正直なところです。

そこでさらに考えてみました。

今回の選択は、あくまで決勝トーナメントに行くためのリスクも伴う

判断の結果だったわけで、ベスト16に行けたからいいでしょうという

わけにはいかない、という前提がのしかかってきます。

これも西野監督は引き受けた上で、さらにその上のベスト8に行くため

の必要条件として取った方策と考えてみると、

次のベルギー戦での戦い方こそが、よくよく我々が注視すべきことなの

ではないかと思います。

ここでもし万が一、全力を振り絞って戦えないのであれば、今回のやり

方が、ただただ目の前のトーナメント出場のための方便だったという

ことになってしまいます。

それでは誰しも納得がいかないし、西野監督自身と選手たち、スタッフ

皆も納得はしないでしょう。

ですから、

この次の(結果ではなく)戦い方こそが今回のやり方に対する非難を

表明するか、それともよく決断したと考えるかの(観る方も含めた)

試金石になると強く感じます。

どういう戦い方を、日本が今持つ全て(フィジカル面、メンタル面、

闘争心、戦略面など)を振り絞ってできるか、が全てだなと今は

思っています。

悔いのない全力の(かつしたたかな)戦いを期待しましょう!

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。

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