スポーツから共感できること
スポーツあるいはスポーツ人から学べること・感銘を受けること・共感
できることって結構多いなぁと思います。
最近感じた小さなことから大きなことまで3つのエピソードをご紹介
しようと思います。
その1.
日本のプロ野球はもう終わってしまいましたが、海の向こうのMLBは
今が最高潮のワールド・シリーズ開催中です。
毎日ライブあるいは録画でTV観戦していますが、先日の放送中解説者
の岩村さん(岩村明憲元プロ野球選手)が言っていたことが、身体運動
に関わる者として印象的でした。
「球の軌道のイメージができていないとバットが出ない」といったコメ
ントでした。
やっぱりそうか!と感じたのは、以前書いた「動く前に考えよう!」に
合致するなぁ、と思ったからです。
動く前にしっかりと自分の動きをイメージしておくことは、その後の動
きに良い影響を与えるだろう、ということです。
バッターも、来る球とそれをどう打つかのイメージがしっかりとできて
いないと、バットを振ろうと思っても手が出なかったり、振るつもりの
ない球を振ってしまう(ピッチャーに振らされる)ということが起こる
ようです。
何気ない解説者の言葉からも、なるほどぉ、と思える情報が詰まって
います。
その2.
同じMLBからのお話です。
先日元シカゴ・カブスの監督だったジョー・マドン氏が、大谷翔平選手
が在籍しているロサンジェルス・エンジェルスの監督に就任することが
決まりました。
先ほどの岩村氏がタンパベイ・レイズ時代監督だった人、シカゴ・カブ
スのダルビッシュ選手はついこの間まで、マドン氏のもとでプレイして
いました。日本人には馴染みのある、しかも有能な監督です。
そのマドン氏が就任会見で語った言葉が印象的でした。
「最近の野球はデータ対アートの戦いの様相を呈している。デーやは
数字、統計その他、アートとは心の躍動感であり、両者を共に兼ね備え
なければならないと考えている。どちらか一方だけではダメだ。」
(内容筆者意訳)
という話が、記者の他に大谷選手や他の現役ないし元選手の前でされて
いました。
これはイチローが引退会見の時に、これからの野球に若干憂慮を示唆し
た考え方(データ至上主義的な最近のあり方に疑問を呈した)に通じる
ものがあるな、と思いました。
そして、身体運動に従事する者が常に考えることにも相通じる部分が
あります。
身体運動あるいはリハビリテーションは、アート&サイエンスである、
と私たちの学生時代には教えられました。
ヒトの動きは客観的なデータ(数値)などでの評価とともに、一人の
人間として個性的に生きているので、機械とは異なる質的な評価という
アートとしてのアプローチが必要だということです。
どちらかだけに偏ってしまっては、人を数値だけで判別したり、逆に
根拠のないアプローチをしてしまう危険性があります。
ビジネスでも最近はアート思考やデザイン思考など、アート的な観点の
必要性・重要性が盛んに説かれています。
その点を、時期エンジェルス監督のマドン氏はよくわかっているのだと
思います。
特に最近はデータ野球(野村さんが昔から提唱していました)が逆に
行き過ぎ(データばかりで判断する)の傾向があるのに対する警鐘とも
読み取れます
(野村さんはその点のバランスが取れていたのだと思います)。
そこに二刀流という今までにない選手生活を送る大谷選手がいるという
のも、とてもワクワクさせられる、早く来シーズンが見たい、と思わせ
る、マドン監督の会見でした。
その3.
3番目は、ラグビーが示すスポーツの文化的な効用です。
スポーツを文化にというのは、日本にいるスポーツ界に関わる人の念願
ですが、まだまだ根付いていないところがたくさんあります。
根性主義や勝利至上主義、封建的な指導者と選手の関係などなど、
スポーツ医学的には大分改善されてきたとはいうものの、まだ地域に
根ざした文化としてのスポーツという感覚は発展途上に思われます。
そんな中、今回のラグビーW杯での選手や観衆、その他の全ての関係者
が示す激しい勝利への執念とともにフェアプレイや寛容さ、思いやり
などが心を打っています。
球技の中では最も激しい、格闘技にも近いラグビーにも関わらず(だか
らこそかもしれません)、ちょっとずつ優しい気分になれるのが、とて
も不思議な感じで、心地よい感動を呼びます。
スポーツから身体運動に関わるものが学べるものとは、これらの
データ&アート&ハートなんだなぁ、と感じたこの頃でした。
運動科楽舎の理念も正しく楽しく、アカデミック&エンターテインメン
トです。まだまだ足りませんが、できるだけその理念に向けて身体運動
の面白さを正しく楽しく伝えることができればと思っています。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。