身体運動は意思を伴う!?
毎度のことながら、ふとつけたテレビに観入ってしまいます。昨日も。
これまた毎度のNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」(再放送)
途中からなんですが、思わず観入ってしまいました。
印象に残る場面や言葉がいくつかありました。特に自分の職業からする
と、“身体の動きは意思を伴う”という(正確ではないかもしれません)
言葉でした。
昨日メディアにも取り上げられていましたが、一度引退表明した宮崎氏
が、長編の制作を発表しました。
そこに至る前段階の葛藤を描いたドキュメンタリーが前述の番組です。
手書きのアニメーションを基本方針としていた氏が、スタッフを集める
ことの 難しさという現状から、CGスタッフとのコラボを試み、中々思
う様に行かない過程での先ほどの言葉です。
主人公の毛虫が生まれたばかりのシーン(冒頭に想定していました)、
卵から顔を出して周りも見回す動き、CG製作者の仮設定画面を見た
氏は、生まれたばかりにしては動きが素早すぎて不自然とコメント
して、“身体の動きは意思を伴う”といった趣旨の言葉を吐きます。
確かに!なるほど!と感じた瞬間でした。どこまで意思が付随している
のか?は医学的には不明ですが、そんなことは考えなくともそうだよな
と感じさせる言葉でした。
要はCGの動きに生命を感じない、という感性から生じた言葉でした。
生命の神秘さそれに対する畏敬の念みたいなのが根底にあるんだなと、
この番組全体を見て感じました。
かくいう私は氏の映画を一度も見たことがなく、あまり関心も直接的
には感じたことがなかったのですが、氏のあり方・生き方には、
興味を持っていました。
もう一つドキッとさせられる緊張の場面がありました。ドワンゴ社長の
川上量生氏が現在のCG技術がどこまで進んでいるかを伝えるプレゼン
場面、実際の人ではありえない様なゾンビの気持ち悪い(と思うか面白
いと思うかは人それぞれだと思います)動きを提示した時に、宮崎氏が
人の尊厳を侮辱している、不愉快だとはっきり述べていたシーン。
私にはどちらも一定のシンパシーを感じられて、しかも両氏に対する
思い入れがそんなに強くないものとして、考えさせられる場面でした。
どちらもわかるなぁ、きっと何か場や時の入れ間違いというか、
齟齬がそうさせてしまったんだろうなぁと解釈しています。
※この放送後、ネット界隈ではいわゆる炎上騒ぎになった様ですが、
川上氏は冷静にコメントを出していました※
※川上氏の著書もとても面白く刺激的で、きっとその純粋な面白さの
追求の一つの現れが、別のものを求めていた場面で提示されてしまった
が故の齟齬、というだけなのでしょう※
何れにしても、今のAIやディープ・ラーニングの発展は無視してはいけ
ない人類の必然の進み方の様な気がします。一方で、宮崎氏の大事に
していると思われる感性というか、感覚も理解できます。この両者の
対立なのか?対比なのか?とどう折り合いをつけていくかが課題なの
かなと思った場面でした。
さて、本題は身体運動のことです。
ある動きから感じるその意思、とは意識化であれ無意識化であれ、
“意思”という言葉がぴったりの動き方を示しているのだろうなと
感じます。生理学的・脳科学的には、ある動きをしようとする前から、
すでに神経信号は発せられていると言われています。しかし、
ここでいう意思の現れとはそういう学術的なこと以前に、動きから見て
取れる背景の意思の強さ・弱さをいっているのかなと、後付けであろう
と本人が意図する以前から意思は働いているというと変な言い方になり
ますが、純粋に面白さを感じます。
とにかく、人を含めた生物の動きって考えると面白いと思いませんか?
今日も読んでいただきありがとうございました。また明日。