top of page
朝野裕一

人が速く動くことについて考えてみた:第五話

人が速く動くことを考えるとき、その逆の遅く動くことや、動くときの

固有のリズムなどについて考えることにもなります。

これは音楽について考えるとわかりやすいかもしれません。

一定のリズム・テンポで演奏・歌唱することが前提ですが、機械的な

リズム(メトロノームのような)はあくまで基準となるリズムであって

そこから人間らしい抑揚というか揺らぎが生じる。

それが感性を刺激するということをおなじみ?の「奇跡のレッスン

を観て感じたところです。

自分の感性に基づいて自由にリズム・テンポを変える。

あるいは、自然とリズム・テンポが変わる。それは運動にも通ずること

だと思います。

いつも問題になることは、一定の速さでしか動くことができなくなった

とき=自由度を失った時です。

ヒトにはその体格に応じた固有の振動数=リズム的なもの、があると

言いましたが、そうは言ってもそれを変調することが可能な自由度も

同時に持っています。

固有の振動数は個人の至適な速さみたいなものがあるということです。

実際、歩くときの速度はその人ひとによって一番効率の良い速さが

あって、それ以上速くても遅くても歩く効率が下がります。

※歩くときに摂取する酸素の量で継続された実験結果より。

ある一定の速度の時に酸素摂取量が一番少なくてすみ、それ以上でも

以下でも酸素摂取量が上昇するという結果です※

その一方で、

ある程度自由な速度変化を生み出すことも可能であるという、一見

矛盾した状態を有しているのが、いわゆる正常な状態、

ということになります。

話術、トーク、プレゼン、落語など緊張と緩和がそのパフォーマンスを

印象付けることがあると思いますが、それもある意味リズムの変調が

もたらすものでしょう。

自分の一番ぴったりするリズム(至適速度=固有振動数に依存か?)

で動くと同時にそれより少し速く・遅くしてみる練習などは動きの

自由度を確保するために必要な要素ではないかと考えています。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。

閲覧数:27回0件のコメント
bottom of page