• 朝野裕一

これから運動について書いていくことのあれこれ

毎日このブログを書き始めて早いものでもうすぐ1年半になります。

あの手この手?で運動について興味を持っていただくためにつまらない

文章も随分書いてきました。

つまらないと同時にこなれていないと言うか、何を言いたいのか

わかりづらい文章も多々あったと思います。

そうはいっても毎日書くことを決めた以上は書き続けていくことに

変わりありません。

読んでいただいている方には、今後も末長くお付き合いいただければ

と思っています。

さてさて、

そんなことで毎日ネタが尽きそうになりながら、なんとか続けている

のですが、これから書いていこうかなぁと、思っていること自体を

今日は書いてみます。

少し前に、運動を時間軸(一人の人が生まれてから歳を重ねていく過程

としての時間軸)で考えてみるというお話をしました。

これをもう少し細かく、深く見ていこうという企画(?)を一つ

考えました。

生まれてから人は身体を通してどういう体験・経験をするのだろう?

それを0歳児からなぞってみようという試みです。

どんなことを体験したかは我々大人になってから改めて思い出すことは

できません。

そのため、一般的に言われる運動発達に沿って身体が覚えている体験を

再体験してみようということです。

もう一つの試みとしては、運動嫌いの人側からの言い分というか、

思いを代弁できないものかというものです。

運動を嫌いと感じるきっかけは人それぞれでしょうが、多くは小学生

くらいの時期での、体育の苦手感や運動会のかけっこ苦手感があるよう

に思えます。

人生における割と早いうちから、運動を嫌いと思ってしまうと、大人に

なってから心から好きになるということは難しい気がします。

勿論、何かのきっかけで運動をすることに興味を持ったり好きになった

りすることは誰しもあり得るのですが、どちらかと言えば、運動が必要

だとは分かっていながら、好きになれない・できていない自分をやや

責める気分が支配してしまうケースも多いと思います。

何か、喉に引っかかった小骨のような、腹に入っても消化仕切れない

モヤモヤ感が支配してしまう。

運動自体が悪いわけでもなく、運動嫌いな人が悪いわけでも決してない

のに、なぜこんな複雑な心境を運動がもたらしてしまうのでしょう。

そう考えると、運動が嫌いと思う理由などを少し深掘りしてみたら、

何か見えてくるのかも知れないと思い、いっそ運動嫌い側の人の言い分

を聴いてみる(その立場になってみる)、ということが必要だと思い

至りました。

そんなわけで、

これからいくつかシリーズ的に(単発的なものもあるでしょうが)

お話をしていこうと思っています。

重ねて、今後ともよろしくお願いいたします。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

運動嫌いなのはそれなりの理由があるんですよねきっと。また明日。