• 朝野裕一

インプットとアウトプット〜フィードバックとフィードフォワード

前にも何回か書いたことなのですが、

人間は身体を通じて外界の環境から多くの情報を入力し、また身体を

通じて外界に何らかの作用=出力をします。

入力(インプット)⇔出力(アウトプット)の繰り返しで、脳を発達

させてきました。

これは、

進化という系統発生的な面からも、発達・成長という個体発生的な面

からも当てはまることです。

身体というフィルターを通じて世界を知り、知能を発達させていく。

それが人間の営みです。

ここで大事なこととは?

インプットだけ行っていても、意味をなさないということです。

また、闇雲にアウトプットだけしていても同じく意味がない、

ということになります。

何故ならば、インプットした情報を外界へアウトプットすることで、

さらに新たな情報を得たり、アウトプットの修正や改善などを行う、

いわゆる、フィードバック機構を生かすことができないからです。

また、

アウトプットだけをしても、それをインプットする機構が働かなけれ

ば、結局何も学ばなかったことになります。

いずれも、

外界の環境変化、状況変化に適応することができなくなります。

フィードバックの対語として、フィードフォワードという言葉が

あります。

フィードフォワードとは、

アウトプットに伴う情報をもう一度インプットして利用する

(フィードバック)のではなく、外界の変化を予測してあらかじめ

アウトプットを決めていく機構だと考えてください。

アウトプットの後のインプットを必ずしも必要としない、予測的な

働きです。

当然、

アウトプットの前に外界情報をインプットしていなければなりません。

人の身体運動においてもこの、フィードバックとフィードフォワード

両者が必要になります。

回路(ループ)が閉じているのがフィードバック、開いているのが

フィードフォワードですが、どちらもインプットとアウトプットの二つ

が必要になります。

ですから、最初にお話ししたように、インプットだけとかアウトプット

だけということは、実際あり得ない話なんですね。

知識だけをたくさん仕入れてみても、それは実際何かに役立つもので

なければ意味がありません。

もちろん今は何の役にたつか分からないが、のちにとても重要な情報

だったということは、よくあることなので知識の仕入れ=インプットは

重要なことに変わりありません。

しかし、どうあれインプットした情報をただどこかに密かに溜め込んで

いても意味がない、ということはいえます。

また、

事前の予想や仮説思考=インプットなしに闇雲にアウトプットしても、

のちに役立つ行為(経験)にはなりません。

ただその場限りのパフォーマンスに終わってしまいます。

次の場面でもまた同じことの繰り返しになってしまうかもしれません。

身体を動かす場面では、知識とは身体運動に関する言語的な知識だけ

ではなく、むしろ実際の体験(アウトプット)が重要になります。

つまり、

知識を得る=インプットすることに絡んで、何らかのアウトプットが

必然的に関係してくることになります。それは、フィードバック、

フィードフォワードいずれにも当てはまります。

そして、

言語的な身体に関する知識を得たとしても、それを実際に試してみる、

経験するというアウトプットがどうしても必要になるでしょう。

そうでなければ、

得た知識は何の役割も果たすことができないでしょう。

身体というセンサーとジェネレーターを通じた情報のインプットとアウト

プット、と書くと何やや高尚な難しいことに思えますが、

なんてことはありません

動きを意識して(インプット)、外界に働きかけて(アウトプット)

また新たな情報を入力する(フィードバック)ことや、

外界の状況を事前に入力(インプット)し、状況変化にあらかじめ対応

するために準備する(アウトプット;フィードフォワード)ことは、

誰でもどこでもいつでも生活の中で行っていることなんです。

それが身体運動、身体の動きの面白いところです。

あなたも、

ちょっとした生活場面での身体の動きや姿勢に注意してみたら、もっと

有益な=役に立つ情報を得ることができるのではないかと思います。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。