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  • 朝野裕一

AI vs.人間?

AIに関する情報が巷に溢れています

様々な話が挙がっていますが、とかく対人間を想定した色々な課題や

心配などが論じられています。

AIが仕事を奪う、AIが人間の行う競技に勝った(碁や将棋など)、

いずれ人間を超えた存在になる?などなど。

でも、

AI自体をどう使うかはやはり人間次第と言えるのではないでしょうか。

少なくとも今のところは。

どういう作業を効率化するか?

どういうことが人間にとって有用か?というところから研究は進んでい

るでしょうから。

もちろん兵器として利用するとか、悪意のあるプログラムをすれば、

人間にとって恐ろしいものにもなるでしょう。

それもやはり人間次第ということなのではないかと思います。

何れにしても、

ハードウェアの急激な進歩・コスト軽減化とソフトウェアの進歩が

相まって、AIの学習能力は格段の進展が認められていますし、

これからもますますその度合いは増していくでしょう。

さてそこで、

身体運動との関係は?です。

人間が学習をしていく過程は、身体の五感や体性(運動)感覚などを

通じて環境との関わりを理解して、身体能力や認知能力などの発達が

行われていきます。

AIの機械学習やその中でも深層学習などは、人間自身が大量のデータを

AIに与えて(ビッグ・データ)学習をしていきます。

いわば身体を抜いた状態で脳だけを取り出して学習させているような

イメージです。

一方、人間の方は先ほど書いたように、身体の動きがとても脳の発達

(認知能力を含めた)そのものにとって重要になります。

単に動きの学習(運動学習)にとどまらす、その他の能力の発達に

とっても、身体の存在が欠かせないわけです。

ロボティクス(ロボット(工)学)とAIを結びつけることによって人間の

身体に似せた形での運動学習的な要素を発展させることもできるとは

思いますが、その意義はまた別の問題として、

ここでは、

○AIと人間を相対する(二項対立的;AIは人の役に立つのか、人の

仕事を奪う怖いものなのか的な)形で考えること自体があまり意味の

ないことのように思う。

○AIの学習とは異なり、身体を通じて運動を含む様々な学習をする人間

の存在がむしろすごいなぁと改めて思った。

以上の二点を感じたということでした。

あまりまとまりのない話になりましたが、このことはまた別にもう少し

深く考えてみたいと思います。

カラダが動くということが、AIの存在・発達によってかえってすごい

ことなんだなと感じられる、ということでした。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。

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