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  • 朝野裕一

インターフェイスとアフォーダンス〜人間、AI、ロボットの共存

ここでも何回かAIやロボットのことについて書いてきました。

今回もそれに関して、

昨日「人間ってなんだ?超AI入門」の再放送を観ていて感じたことを

書きたいと思います。

昨日(2018年10月25日)は、自動運転のお話でした。

少し前から感じていたことなんですけれども、自動で運転できるのに

なんでハンドルがあるのだろう?

と一種の違和感を感じていました。

だってハンドルには誰も手を触れないで勝手にハンドルが動いている、

それって必要?と感じますよね。

もちろんまだ開発段階のために人が乗っても運転できる車で、実証実験

を行なっているためなのでしょう。

でも、番組内でも指摘されていたように、完全に自動化が可能になって

自動運転車が実際に運用されたら、何も車の使用やデザインが今のまま

である必要はなく、

むしろ、自動化に特化すれば車のデザインは変わっていくだろう、

少なくともハンドルはいらなくなるだろうと思いました。

まぁいざとなったら、人間の手動運転に切り替えられる(飛行機の

ように)仕様はしばらく続くのかもしれませんが・・・

ハンドルのような機械と人間の情報交換を仲介すること・ものを、

インターフェイスと呼んでいます。

話は少し変わります。

ヒト型のロボットがなぜ必要か?という理由の一つには、今ある環境の

ほとんど(自然を抜かして)は、人間が動きやすい、使いやすいなど

のために設計されているので、ヒト型のロボットの方が環境適応しやす

いというものです。

確かにドアや机、窓などの高さや、敷居のあるなし、階段などあらゆる

人工環境は当たり前ですが、ヒトに合わせて作ってあります。

あらゆる人間が生活したり移動したりする環境にロボットの作業を合わ

せようとすると、ヒト型ロボットというのは必要なのでしょう。

段差を昇り降りして進むなどの動きに特化すれば、別にヒト型の必要は

ないのですが、大抵はそのあと何かの作業をする設定でしょうから、

ヒト型ロボットは捨て難い、というところですね。

さて、また少し話を変えます。

一方で人間は、文化や科学技術の発展に伴い、自分の周りの環境を人工

的に作り替えたり付け加えたりしてきました。

それまでは、自然という環境に自分たちを合わせて生きてきたのですが

徐々にそこに人工的なもの(家一つ取ってもそうでしょう)を作って

きました。

環境と人間との関係性は、アフォーダンスという言葉で表すことが

できます。

そこに木の切り株があるから人はそこに座るという行為・行動

(身体活動・運動)を取るということになります。

そのうち自分たちでもそのような便利だと思われるものを作って、

椅子ができます。

実は、本当のところの椅子の発明経緯は知りませんが・・・

このように、

ヒトと周囲の環境の関係をアフォーダンスという言葉で示します。

一方で、

ヒトと機械などの関係はインターフェイス、もっと正確に言えば、

ヒューマン・インターフェイスあるいはマン・マシンインターフェイス

と言うそうです。

インターフェイスとしての車のハンドル。そのハンドルに合わせて

身体の動きを適応させる人間。

人間の代わりとして様々な判断を高速で行うAI。

移動ロボットとして捉えることのできる車。

これらが共存していく世界がもうすぐそこに待っています。

現在のようにコンピュータ技術や様々な科学技術が加速的に進歩して

いる中では、いずれ思ってもみなかったような車とか(その時点で最早

車と言えるかどうかわかりません)その他の機械などが出現してくるの

かもしれませんね。

そうなるとデザインというものもヒトのためと、AI仕様とか、ロボット

仕様のものなどができてくるのでしょうか?

デザインだけではなく、ヒトの身体運動や活動も環境の変化に合わせて

また変わってくるのかもしれません。今までがそうであったように。

インターフェイスとアフォーダンス的に考えると、どちらがどう関係

するかはともかくとして、何百年後から振り返った時に、今の時代が

ヒトの活動や身体運動においても、大きな転換期だったということに

なるのかなぁなどと、

自動運転で自動的に動くハンドルをちょっと不思議に観ながら、

そんなことを考えていました。

良い悪いではなく、少し違和感と期待感が混じり合うような不思議な

感覚にとらわれました。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。また明日。

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