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朝野裕一

運動を極める?!といっても言葉の話

今日は、運動という言葉をもう一度深く味わってみようかと思います。

運動の運は運ぶという文字。

運ぶ=locomotion?or transport?

移動するという意味ですね。

何かを移動させるあるいは移動する

動はその字のごとく動くということ

移動の動にも使われています。

何を運び、何が運ばれ・動くかというと、人間の場合身体ですね。

身体を動かすということは、生きることに直結してきます。

生きている以上はどこかは動いている。寝ていても寝返りはするし、

しなくとも心臓と肺(肋骨)は動いている。

脳も完全に活動を止めてはいません

起きている状態では、必ずどこかに移動します。自分で動けなくても

移動のための補助を使って(車椅子とか)動いたり、動かしてもらった

りします。

その間も身体の色々なところを動かします。

全身が麻痺を起こしてしまう病気になってしまったら・・・

それでも目を動かしてコミュニケーションを取ることもできます。

もちろんそのための機器などが必要ですが。

普通の生活(と言っていいのか)では、たとえ家に引きこもっていても

家の中を移動します。

引きこもっていなければ、外にも出ます。仕事や学校、旅行や買い物

その他諸々の行動を起こします。

何かの社会的・政治的活動を総称して〇〇運動などと言ったりします。

当然その活動に参加している人は、文字通り身体も動かします。

要は何回も言っているように、地球上の重力に抗って我々は常に動いて

いるということです。

重力に抗ってと書いたのは、立っているだけでも(動いていないと

しても)、重力に逆らってある姿勢を保つことが、動いていないけれど

筋肉を働かせているという意味では、運動になると考えるからです。

そんな風に広く「運動」という言葉を解釈すると、自然といかに人が

運動を必要としているかが分かるのではないでしょうか。

これを今度は時間軸に当てはめて考えてみると、また別の意味で運動の

必要性が見えてきます。

この話は明日いたします。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

運動は日常のあちこちに見つけられます。また明日。

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